2011年。東日本大震災での大きな揺れのあと、ここ南三陸町にも大きな津波が来ました。家族や親戚、家、船を無くした人がたくさんいて、行場さんは自然の怖さを、身に染みて感じたそうです。
震災前は志津川湾だけで、400台の筏(いかだ。かきを養殖するロープを括り付けた浮きの集合体)が海に入っていました。それが、津波ですべて流されてしまい、今では200台と半分に減りました。
しかし、だからといって生産量が減ったわけではありません。
筏の台数が減り、減ったかきの分の栄養を吸収して育つようになったので、早く成長ができるようになったのです。もともと2年生育して出荷していたかきが、今では1年で出荷できるくらい成長の早さが変わったといいます。